LOAD TO LAST MILE

辺境から世界に通用するサービスをつくるラストマイルワークス株式会社の代表小林のブログ。

カンボジア4期目、日本3期目を迎えました!

本日をもって日本は3期目、カンボジアは4期目に入りました。

日本とカンボジアで働いてくれている仲間たち、二人三脚で事業を応援してくれているパートナーの方たち、名前は特に出さないですがいつも支えてくれている皆さん、いつもありがとうございます。

この一年で少しずつやりたいことが形になってきましたが、まだまだです。
東南アジアに移住してから6年以上経ちますが、ようやくスタート地点に立てた感じというのを過去6回くらい思っています。つまり毎年です。

起業してから3年が経ちましたが立ち上げた当時はこんな感じでした。

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裸のヤツいるしw

 

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これはカンボジアの田舎のオフィス。牛糞臭かった。

 

創業当初はカンボジアの田舎にインターネットを持ってきて、パソコンを並べて日本の間取り図を描いてました、というのは今となっては良いネタです。いつかはまたここでビジネスをやりたい。

 

今回はせっかくなので久しぶりに創業時を振り返ってみます。なんで田舎にオフィスをつくったか、そんな話です。

 

2015年11月カンボジアで起業

日本ではつまらないと思うような仕事でも、場所が変われば目を輝かせてやってくれる人がいる。それに気づけたのはこの時期でした。

そして、もし誰でもできるような仕事であるならば社会的意義がある場所でやろうと思い、トゥクトゥクにパソコンを乗せ、プノンペンから1時間半の場所にオフィスをつくりました。

仕事による鬱や自殺が日本で表面化される前から職の不均等を解決するというビジネスの構想が昔からあって、Table for Twoの仕事版のようなものをビジョンとしてました。

Table for Twoは好きで良く追ってました。でも僕らは「食」ではなく「職」の不均等を解決しようと思ったわけです。

アフリカの子どもたちに給食を TABLE FOR TWO公式サイト

 

先進国で溢れた仕事や雑務を仕事のない国や地域に発注する。まずはプノンペン

そして、プノンペンで細かく細かくタスク分解して、システム化する。

さらに、IT教育をおこなうNGOと一緒に実践的なカリキュラムを組むことにより、教育費を極限まで下げ即戦力を採用!

そんな先進国と途上国のアウトソーシングビジネスに、プラス途上国の田舎下請けをつくるという2段階のアウトソーシングモデルをつくってました。

 

一種のアウトソーシングビジネスではあるんですけど、

日本企業は営業活動や、よりクリエイティブな仕事に時間をつかえるようになる。早めに帰宅して家族との時間を増やすこともできる。

それに加えて途上国側は「職」を手に入れられ、現金収入もしっかりある。デザインの職業訓練校と企業が一緒になったようなモデルです。

控え目に言って最高なビジネスモデルじゃん、と思いました。

 

田舎でできることは農業やるか、家族の手伝いをするか、都心部の近くまで出て工場で働くか、その程度です。当時は工場で朝早くから夜遅くまで働いても月収200ドルももらえなかったりしていました。一生懸命働いても2万円程度のお給料ってブラックすぎる。

 

田舎のオフィスにはパソコンを20台くらい並べて、イラストレーターやフォトショップなど、武器になりそうな技術は徹底してNGOで勉強してもらいました。

勉強したい人はお坊さんだろうが、誰だろうが参加できるようにしました。

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当時はトレーニングの成績が優秀な人は積極的に採用してました。

不動産の間取り図の作成、データ入力、何に使うかもわかんない単純作業等々。。。

空間を超えてできる仕事だったら何でもやります!

そういうスタンスで色んなことに挑戦しました。スタッフの技術も日々上達していくのがよくわかります。日本ではサービス残業なんて言いますが、こっちでは仕事がしたくてしょうがない、そんな人が多いんです。

 

 なのに何故今やってないか

これは面白いビジネス考えちまったなーと思いましたが、結局1年ぐらいしか続きませんでした。理由は単純に品質の問題でした。

お客様は勿論日本で、日本の品質を求められます。いくら単純作業とは言え、ちょっと前まで畑を耕していた人にとっては難しい作業でした。新しいことを覚えるというのはストレスなのです。


結局プノンペン側で品質を上げてから納品する形になり、アウトソーシングのコスト削減が成り立ちませんでした。むしろコストが上がってる。

慈善事業じぁねえんだよ、僕自身もそんなイライラを感じていたのを今でも覚えています。

 

お別れは突然です。 

 

僕はある日突然その村から追い出され、

自分で0から立ち上げたオフィス全てを失いました。

パソコン20台も貯めてたデータも人財もNGOの代表との5年以上の縁も全てです。

自分でつくったオフィスなのになんでやねん、とつっこんだところで何も返ってはきませんでした。

で何故VRなのか

 村八分に合いプノンペンに戻り、結局何がいけなかったのか色々考えました。一番大きかったのはビジネスモデルでした。

アウトソーシングという受け身のビジネスは受け手側が搾取されやすく、日本の発注者がやれといったらやるしかない、そんな関係になりやすいです。

特に薄利多売のビジネスで発注量も波があり、こちらも創業したてで何でもやります!だったので当然田舎側にはストレスがかかってしまうわけです。

受け身になりやすいのはビジネスだけでなく、カンボジアという国自体にも当てはまると思います。デコボコな道路もほっといたら誰かが直してくれる、ごみを捨てても誰かが拾ってくれるそんな国です。

そんなことをプノンペンで考えて最終的にいきついたのは、今までと真逆の発想です。

つまり、日本企業から受注するのではなく、カンボジア含め途上国で価値のあるものを創り、先進国に発注するというビジネスモデルでした。飲食業やって先進国よりもうまいものがつくれるのであれば、それでも良かったわけですが、僕の場合はそれがたまたまVRでした。

 

カンボジア好きなんですねー、と良く言われるのですが、

僕はカンボジアがすごく好きなわけでも、VRがすごく好きで今の事業を始めたわけでもありません。カンボジアが嫌いなわけではないですが、日本もベトナムもタイも同じくらい好きです。

色々あったけど、何故また田舎でやりたいのかというと理由は明確で、他の誰もやらないからです。

僕があそこで事業をしなければフォトショップを勉強することも、もちろん現金収入を得ることもできませんでした。もし、僕があそこで事業を続けていたら今頃カンボジアで一番優秀なグラフィックデザイナーが生まれていたかもしれません。日本人以上に稼ぐデザイナーが生まれたかもしれません。

 

あとは、知らないからやれない、というのもあると思います。

でも僕は先進国の超最先端なことも、途上国の超泥臭いことも知ってしまいました。

 

僕は日本で生まれ育って、運が良すぎました。

世界にはちょっとした機会さえ与えられない人がいます。

創業の想いはそんな機会がなき人に機会を与え、

価値のあるものをつくり世界で売ることです。

 

カンボジアに最初にVRを持ち込んだのは僕であり、テクノロジーを通して色んな気顔を与えることができており、少しずつですが前進していると思います。

 

長くなりましたが、これからの1年は新しい拠点や新しいサービスなど引き続き攻めていきたいと思っています。現在スタッフも絶賛募集中なので、下剋上ビジネスをしていきたい方は是非ご連絡ください!