LOAD TO LAST MILE

辺境から世界に通用するサービスをつくるラストマイルワークス株式会社の代表小林のブログ。

カンボジア4期目、日本3期目を迎えました!

本日をもって日本は3期目、カンボジアは4期目に入りました。

日本とカンボジアで働いてくれている仲間たち、二人三脚で事業を応援してくれているパートナーの方たち、名前は特に出さないですがいつも支えてくれている皆さん、いつもありがとうございます。

この一年で少しずつやりたいことが形になってきましたが、まだまだです。
東南アジアに移住してから6年以上経ちますが、ようやくスタート地点に立てた感じというのを過去6回くらい思っています。つまり毎年です。

起業してから3年が経ちましたが立ち上げた当時はこんな感じでした。

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裸のヤツいるしw

 

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これはカンボジアの田舎のオフィス。牛糞臭かった。

 

創業当初はカンボジアの田舎にインターネットを持ってきて、パソコンを並べて日本の間取り図を描いてました、というのは今となっては良いネタです。いつかはまたここでビジネスをやりたい。

 

今回はせっかくなので久しぶりに創業時を振り返ってみます。なんで田舎にオフィスをつくったか、そんな話です。

 

2015年11月カンボジアで起業

日本ではつまらないと思うような仕事でも、場所が変われば目を輝かせてやってくれる人がいる。それに気づけたのはこの時期でした。

そして、もし誰でもできるような仕事であるならば社会的意義がある場所でやろうと思い、トゥクトゥクにパソコンを乗せ、プノンペンから1時間半の場所にオフィスをつくりました。

仕事による鬱や自殺が日本で表面化される前から職の不均等を解決するというビジネスの構想が昔からあって、Table for Twoの仕事版のようなものをビジョンとしてました。

Table for Twoは好きで良く追ってました。でも僕らは「食」ではなく「職」の不均等を解決しようと思ったわけです。

アフリカの子どもたちに給食を TABLE FOR TWO公式サイト

 

先進国で溢れた仕事や雑務を仕事のない国や地域に発注する。まずはプノンペン

そして、プノンペンで細かく細かくタスク分解して、システム化する。

さらに、IT教育をおこなうNGOと一緒に実践的なカリキュラムを組むことにより、教育費を極限まで下げ即戦力を採用!

そんな先進国と途上国のアウトソーシングビジネスに、プラス途上国の田舎下請けをつくるという2段階のアウトソーシングモデルをつくってました。

 

一種のアウトソーシングビジネスではあるんですけど、

日本企業は営業活動や、よりクリエイティブな仕事に時間をつかえるようになる。早めに帰宅して家族との時間を増やすこともできる。

それに加えて途上国側は「職」を手に入れられ、現金収入もしっかりある。デザインの職業訓練校と企業が一緒になったようなモデルです。

控え目に言って最高なビジネスモデルじゃん、と思いました。

 

田舎でできることは農業やるか、家族の手伝いをするか、都心部の近くまで出て工場で働くか、その程度です。当時は工場で朝早くから夜遅くまで働いても月収200ドルももらえなかったりしていました。一生懸命働いても2万円程度のお給料ってブラックすぎる。

 

田舎のオフィスにはパソコンを20台くらい並べて、イラストレーターやフォトショップなど、武器になりそうな技術は徹底してNGOで勉強してもらいました。

勉強したい人はお坊さんだろうが、誰だろうが参加できるようにしました。

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当時はトレーニングの成績が優秀な人は積極的に採用してました。

不動産の間取り図の作成、データ入力、何に使うかもわかんない単純作業等々。。。

空間を超えてできる仕事だったら何でもやります!

そういうスタンスで色んなことに挑戦しました。スタッフの技術も日々上達していくのがよくわかります。日本ではサービス残業なんて言いますが、こっちでは仕事がしたくてしょうがない、そんな人が多いんです。

 

 なのに何故今やってないか

これは面白いビジネス考えちまったなーと思いましたが、結局1年ぐらいしか続きませんでした。理由は単純に品質の問題でした。

お客様は勿論日本で、日本の品質を求められます。いくら単純作業とは言え、ちょっと前まで畑を耕していた人にとっては難しい作業でした。新しいことを覚えるというのはストレスなのです。


結局プノンペン側で品質を上げてから納品する形になり、アウトソーシングのコスト削減が成り立ちませんでした。むしろコストが上がってる。

慈善事業じぁねえんだよ、僕自身もそんなイライラを感じていたのを今でも覚えています。

 

お別れは突然です。 

 

僕はある日突然その村から追い出され、

自分で0から立ち上げたオフィス全てを失いました。

パソコン20台も貯めてたデータも人財もNGOの代表との5年以上の縁も全てです。

自分でつくったオフィスなのになんでやねん、とつっこんだところで何も返ってはきませんでした。

で何故VRなのか

 村八分に合いプノンペンに戻り、結局何がいけなかったのか色々考えました。一番大きかったのはビジネスモデルでした。

アウトソーシングという受け身のビジネスは受け手側が搾取されやすく、日本の発注者がやれといったらやるしかない、そんな関係になりやすいです。

特に薄利多売のビジネスで発注量も波があり、こちらも創業したてで何でもやります!だったので当然田舎側にはストレスがかかってしまうわけです。

受け身になりやすいのはビジネスだけでなく、カンボジアという国自体にも当てはまると思います。デコボコな道路もほっといたら誰かが直してくれる、ごみを捨てても誰かが拾ってくれるそんな国です。

そんなことをプノンペンで考えて最終的にいきついたのは、今までと真逆の発想です。

つまり、日本企業から受注するのではなく、カンボジア含め途上国で価値のあるものを創り、先進国に発注するというビジネスモデルでした。飲食業やって先進国よりもうまいものがつくれるのであれば、それでも良かったわけですが、僕の場合はそれがたまたまVRでした。

 

カンボジア好きなんですねー、と良く言われるのですが、

僕はカンボジアがすごく好きなわけでも、VRがすごく好きで今の事業を始めたわけでもありません。カンボジアが嫌いなわけではないですが、日本もベトナムもタイも同じくらい好きです。

色々あったけど、何故また田舎でやりたいのかというと理由は明確で、他の誰もやらないからです。

僕があそこで事業をしなければフォトショップを勉強することも、もちろん現金収入を得ることもできませんでした。もし、僕があそこで事業を続けていたら今頃カンボジアで一番優秀なグラフィックデザイナーが生まれていたかもしれません。日本人以上に稼ぐデザイナーが生まれたかもしれません。

 

あとは、知らないからやれない、というのもあると思います。

でも僕は先進国の超最先端なことも、途上国の超泥臭いことも知ってしまいました。

 

僕は日本で生まれ育って、運が良すぎました。

世界にはちょっとした機会さえ与えられない人がいます。

創業の想いはそんな機会がなき人に機会を与え、

価値のあるものをつくり世界で売ることです。

 

カンボジアに最初にVRを持ち込んだのは僕であり、テクノロジーを通して色んな気顔を与えることができており、少しずつですが前進していると思います。

 

長くなりましたが、これからの1年は新しい拠点や新しいサービスなど引き続き攻めていきたいと思っています。現在スタッフも絶賛募集中なので、下剋上ビジネスをしていきたい方は是非ご連絡ください!

 

会社はNGOじゃねぇんだよ

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 2018年10月31日:追記============

Abemaのドラマが話題になったり、ちょうど色んなことが重なって、半分ネタ的な内容を載せたら意外と反響があってよかったです。笑 半分はネタだけど半分はガチでした。

会社は学校じゃねぇんだよ #1「ギャル男社長の逆襲」 | 【AbemaTV】国内最大の無料インターネットテレビ局

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カンボジアに移住して先月で7年目に突入した。

振り返りも兼ねて久しぶりにブログを書こうと思う。

 

振り返ると本当に色々あった。

移住するきっかけをくれたカンボジア人に裏切られ、

スタッフがストライキを起こしたり、

ひったくりや身の危険を感じるような事件も幾度となく経験してきた。

 

それでもなおカンボジアにいるのは、

こんな世界全体から見たらちっぽけで鼻くそみたいな国から

世界に通用するサービスをつくるというビジョンがあったから。

 

そういう想いを込めてカンボジアのド田舎で起業した時は、

LASTMILE(僻地・辺境)WORKS(雇用・サービス)という社名にした。

 

今はVRという領域でサービスの開発をしている。

とはいえ制作者が搾取されるアウトソース事業ではなく、

あくまでも世界中で使ってもらえるような、

まだ世にないサービスの開発をおこなうという、下剋上ビジネス。

 

それをやるためだけにカンボジアに移住した。

 

だから、若い日本人がカンボジアで調子こいてるのを見ると腹が立った。 

確かに日本人というだけで現地ではモテるし、

物価が安いから羽振りが良くなる。

 

でもそれって、自分の価値が高いんではなくて、単純に周りのレベルが下がっただけ。

その後日本に帰国したとしてもカンボジアにいた経験が何になる?

帰国して現実に直面した時は、既に年を取ったあとの浦島太郎状態。


僕は別に女の子とヤリたくてカンボジアにいるわけでもないし、

日本人コミュニティに入ってお友達づくりがしたいわけでもない。

海外で一緒に頑張っているから~っていう仲良しこよしなサークルもごめん、全く興味ない。

 

だから、昔から現地に友達は少なかったし、

今でもそんな感じで、どうでも良い日本人とは一切絡まない。

ただたたこの6年間は自分自身と対峙して、

どうあるべきか、何をすべきかを考え続けてきたつもりだし、

今後もそれで良いと思っている。

 

お前らと一緒にするな。

新卒でカンボジアに移住したときからずっと思っていた。

 

当時日本で好きだった人よりカンボジアを選んだし、

その他大事だったものは全部日本で売ってきた。

一生に一度の初任給はたったの500ドル。

3人のカンボジア人と一緒に家賃50ドルの汚い部屋で川の字になって寝たりもした。

 

 

原点。

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でもそれで良かったと思っている。何故ならまだ何もしてなかったから。自分の状況は自分が一番わかってたし、日本人ブランドに甘えたくはなかった。

 

 海外に出るとどうしても日本人ということを意識せざるをえないし、

だからこそ、日本人として恥じるべき行為をしているやつらに対しては腹が立った。

 

日本で生まれ落ちただけで、何にもできねえくせに偉そうな面すんじゃねえよ。

勘違いすんなよ。お前がすごいんじゃなくて、

周りのレベルが下がっただけだかんな、

日本がこんなにリスペクトされてるのは、

お前じゃなくて先人たちのおかげだからな。

日本でモテねえヤツがいきがってんじゃねえよ、そう思ってた。

 

しかも、そういう奴に限って「カンボジアのために」とかって言う。

 

 

トライアジア事件をどれだけの人が知っているんだろうか。

まじめにコツコツとやるしか正解はないのに、
人として大切なこと、誠実さや相手を尊重するという心を忘れてしまっている人が

ここには多いと思う。日本で成功するような人はカンボジアでも成功するだろうし、

世界中それは一緒だと思う。

 

きれいごとばかり言って、結果を残してない日本人ばかりだ。

 

僕がカンボジアで尊敬する数少ない日本人の中に中田厚仁さんがいる。

www.youtube.com

カンボジアのために」という言葉はこういう人のためにあるんだと思う。

彼はカンボジア人によるカンボジアのための選挙を目指していた。

 

彼は結果も残した。民主化が一番難しいとされている場所にも関わらず、

投票率が99.9%だったという。

 

来月にはカンボジアでまた総選挙がおこなわれる。

でも残念ながら、彼が目指していた公平な選挙はおこなわれないだろう。

www.nhk.or.jp

 

カンボジアを変えようとしているカンボジア人が支援を止めるように言っているにも関わらず、今回の投票箱は日本製だったりする。

大義はやはり「公平な選挙のため、カンボジアのため」だ。

 

僕はこういう日本とカンボジアの関係が全てを物語っている気がしてならない。

日本人も悪いし、カンボジアという国も悪い。

カンボジアは世界の腐敗認識指数において、180カ国中161位だ。

それだけ政府は腐っている。

 

www.hrw.org

 

今のカンボジア赤ずきんをかぶったオオカミ。

きれいごとばかり言って、結果を残さない日本人は

サムライの振りした単なる落ち武者だ。

 

 

それと、カンボジア人にも言いたい。

ごみを捨てても誰かが拾ってくれる、道路がボコボコでも誰かが整備してくれる、

そんな甘い考えだからいつまで経っても支援漬けの体質から抜け出せない。

 

こんな理不尽な世の中は嫌だけど、

日本とか中国とかが勝手にどうにかしてくれるだろう。

そんな甘い考えでいるカンボジア人もクソだし、

実際に支援している国もクソだ。自分の国ぐらい自分でどうにかしろ。

 

 「愚痴をやめよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ」

これは日本の戦後復興を支えた出光佐三の言葉。

 

今回の選挙までの流れでそれが良くわかった。

この国にルールなんてない。

 

でも、1つだけ通用するルールがあるとすれば、

それは「お金がすべて」ということ。 

 

 カジノのVIP顧客による賭け金が国内総生産を上回るのがカンボジア

 

この国ではお金があれば何でもできる。

でもお金がないと救急車に乗せてもらうことすらできない。

 

だからこそ正々堂々と真っ当な金儲けをして、

この腐敗したカンボジアカンボジア人の手で変えさせる。

 

たとえ、社会がどうしようもなく理不尽でも、

頑張ったら報われるという当たり前の環境を用意する。

最先端機器という武器を用意する。

 

 そして、真っ当なやり方で稼いで、

成り上がりの成功事例をカンボジアからつくる。

 雇用を大量に生み、税金を大量に納めさえすればやりたいことは何でもやれる、

それがカンボジアだ。

 

 

会社はNGOじゃねぇんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

facebookが途上国社会を変えられないと思うたった一つの理由

今回はVRではなくてICT4D関連のお話。
カンボジアでは日本の昭和時代に流行ったようなアーケードゲームもあり、
駄菓子屋のような露店もありで、なんだか本当に日本の30年前のような環境です。
30年前は自分は生きていませんが、幼少のころのセピア色の娯楽や楽しみは今でも覚えています。ただ、かつての時代と今の途上国の圧倒的な違いはインターネットです。
プノンペンピンボールゲームをやりながらスマホゲームをやっている少年を見た時は衝撃的でした。

カンボジアに移住した当初は空間を超えてできる仕事=アウトソーシングに携わり、今となっては空間だけでは飽き足らず、時間をも超える仕事=VRを軸に事業展開しているわけですが、私の興味は常に「テクノロジーがどうやって途上国を豊かにしていくか」というところです。学問でいうところの、広義のICT4D、IT技術を通した社会開発に興味があります。そのため昔はインパクトソーシング事業などもやっていました。

なので、インターネットがどうやって途上国を変えていくかにも非常に興味があり、
GoogleのProject Loonや、FacebookのAquilaとかは随時チェックしています。
インターネットを求めてヒマラヤを彷徨ったこともあります。

そこで、ネットが世界中どこでも使えるようになったらどうなるのか、今回はそんな話ですが、尊敬している知人はよくこんなことを言っています。

dataとかinformationは受け取る人の教育レベルや経験によって、その人にとって有益にもなるし無意味にもなる。

これは 実体験を通して、ああなるほどと思ってしまう。
カンボジアにきて5、6年経ちますが、今まで一度もfacebookYouTubeで生活が変わったという人を見たことがありません。YouTuberも一部の先進国だけの職業ですし。
今時スラムの子供ですらfacebookのアカウントを持っていたりします。にも関わらず、
生活水準は全く変わらない。GoogleFacebook情報格差をなくすことによって世界を豊かにすると言っているけども、実際はその恩恵を受ける人なんでごくわずかで、大抵の人々は情報を無駄にしてしまう。
理由は上記の通り、情報は受け取る人の教育レベルや経験によって、その人にとって有益にもなるし、無意味にもなります。

情報という字は情に報いると書きます。
情に報いて初めて情報というのであれば、
彼らが四六時中いじっているスマートフォンアーケードゲームのような、
単なる娯楽でしかなく、現実的な環境を改善しない限りは社会性はありません。







リアリティとは何か

最近よくリアリティとは何か、というとこを考えてます。
VRには主に二つのベクトルがあり、一つは我々のような、バーチャルリアリティを「事実上の現実」と捉えたもの、もう一つがゲームなどの「仮想的な現実」と捉えたものですが、向かう方向は全く違うようにみえます。
ただ、どちらにも言えることが、リアリティとは決して現実を再現することではないということだと思います。

今回はリアリティとは何かをいくつかの例を出して考えてみようと思います。
芥川賞を受賞した森敦さんのエッセイに「リアリズム1.25倍論」という望遠鏡のことを書いたものがあります。人間がものごとをリアルに見るためには「1.00倍」ではだめで、「1.25倍」にするのが良いという話。真実を何かを通して伝えるためにはプラスアルファで0.25の何かが必要になる。つまりはそういうこと。

たしかに日常を振り返ってみると、世の中大抵1.25くらいの乗数がかかっていることに気づく。似顔絵やものまねはその人の特徴を誇張すると似てきたりする、お笑い芸人の話が妙にリアルに感じるのは誇張されているからではないか、といった具合に。

もう一つ例を挙げるとすると、テオドール・ジェリコーの「エプソムの競馬」がわかりやすい。

 

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テオドール・ジェリコーの代表作『エプソムの競馬』

 

4頭の競走馬は躍動感が溢れているが、実際にはこういった前足と後ろ足を伸ばして走ることはありません。そのため制作当時は批判も受けていました。
しかし、本作品の説明は以下のように続きます。

ジェリコーは画家としては異例なほど熱狂的な馬の愛好家で、青年期に動物画家カルル・ヴェルネの許で修行していたこともあり、動物、特に馬の描写には長けていたにも関わらず本作では非現実的な≪フライング・ギャロップ≫にて競走馬を描写しているが、これは疾走する競走馬の最も重要な要素である≪速度≫を表現するために用いたことに他ならない。本作には偏愛的に馬を愛好していたジェリコーだからこそ描くことのできた馬の魅力の本質がよく捉えられている。

つまりジェリコーは本質、リアリティーが伝わると思い、わざとこのような描写をしたというのです。リアリティーとは何かますますわからなくなってきました。

しかし、少なくとも何かを通して現実をつたえようとするためには、ストレートに伝えてはダメだ、ということは確かだと思います。

”将来”への希望と”過去”の経験の可視化、震災から考えるVRの可能性

今日は日本人にとって特別な日です。
震災があって一年後に私は日本を離れました。
そして、今も1年の半分以上は海外という生活を送っており、当時は思ってもいなかったヴァーチャルリアリティという領域で事業を展開しています。

VRというとやっぱりゲームのイメージが強いですが、
実際私たち取り組んでいる事業はゲーム系VRとは全く違うベクトルを向いていると思います。なぜなら、非日常感を体験できることに価値があるとされるゲーム系VRに対して私たちはいかに日常感を感じてもらうかに重きをおいています。どういうことか、もう少しわかりやすく説明するために砂時計に例えてみます。

砂時計は時間の可視化です。上にある砂が真ん中のくびれた管を通り下に落ちていく、つまり未来、現在、過去の3つの時間の可視化をしているわけです。ここで大事なことは上にある砂は必ず真ん中の管(現在)を通るということです。
過去は人類が歩んだ歴史(事実)であり、未来は想像し得る将来の現実ということなります。私たちは日常的に分譲マンションや注文住宅、歴史の可視化をおこなっていますが、それらはフィクションではなく、1年後、5年後必ずやってくるであろう現実であったり、過去に起きた事実を制作していると言えます。そのため、いかに日常感をイメージできるかが重要なのです。

話を震災に戻します。
震災から6年の月日が経ちました。仮設住宅には今もなお3万5千人もの方々が暮らしています。震災の影響で倒産した企業数は400社近くにのぼります。
逃げるように日本を離れてしまった自分ですが、それでもなお復興のために今の自分は何ができるのだろう、一企業としてVRを利用して何ができるのだろうと考えることがあります。

VR技術を利用してできることは何なのでしょうか。
そもそもヴァーチャルリアリティのヴァーチャルとは本来、「事実上の」という意味です。事実上の現実とは見た目は違うが機能や本質は同じ、現実の要素を抽出したデータということになります。それでは、私たちが抽出すべき要素とは何でしょうか。

おそらくこれは、タイトルの通り未来への希望と過去の経験や教訓ではないかと思います。例えば数年後の復興計画を再現したり、失われた建造物を再建したり、過去データをもとに津波シミュレーションをしたり・・・なんて具合にVRを活用できるのではないかと思います。私たちが砂時計のようなノンフィクションVRにこだわる理由は人類が歩んだ歴史や、これから歩む未来に寄与したいという想いからです。

明日が来るのは当たり前ではないのだけど、
私たちは明るい未来をこれからも提案していきたいと思います。

 

「仮想現実はやがてただの現実になる」すべてがFになるから考えるVRの未来

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【アニメ動画】すべてがFになる THE PERFECT INSIDER 1話~11話(終) - NAVER まとめ


これは森博嗣著「すべてがFになる」の中で出てくる真賀田四季博士という天才プログラマの言葉です。それでこんな記事があったので、私も考えてみることにしました。

すべてがFになる」はフィクションですが、その中でVR(仮想現実)が登場します。Oculus Riftみたいのも出てきます。

ポイントはこの本が世に出たのは1997年、今から20年近く前の話なのです。SFっぽく感じないのは2017年に生きているからで、20年前だったら間違いなくSFと言っていたでしょう。不気味なぐらい昨今のVR事情を描写しています。とは言っても、現在2017年に僕が感じていることと、作中に出てくる真賀田博士の言葉には若干の「誤差」があります。これはあくまでも私個人の見解なので、何が正しいかどうかはわかりません。


作中こんな会話があります。

「仮想現実の技術の問題点はなんだとお考えですか?」
「現在は、主として三つの障害があります。第一に、処理系のハード的な力不足、第二に、人間ににそれを受け入れる用意があるかという道徳的な問題、第三に受け入れた後に現れる生物的な未知の影響です。……」

まず第一の問題点に関してですが、本の中では今後解消されていくとあります。確かに処理系のハード的な力不足はあらゆるテクノロジーが二乗の勢いで発展しているため、今後解消されそうな気配はあります。フラッシュメモリでさえTBですからね、TBを持ち歩く時代の到来です。しかし、忘れてはいけないのは、テクノロジーの発展に負けず劣らず、情報量も増えていっています。VRコンテンツなんて数ギガは当たり前です。GBをダウンロードする時代の到来でもあるのです。
そう考えると技術向上と情報量の増大で相殺されてしまい、結局は今後もそんなにハード的な力不足は解消されないのでは?と思っています。

第二の問題は今のビジネス寄りのVRをイメージするとわかりやすいかもしれません。
自分で言うのもなんですが、そんなに流行っていません。流行っていないというのはiPhoneのようにGear VRを携帯するレベルにまで達していないという意味です。その理由は少なからず道徳的な話もあると思っています。それに、5年前の自分はまさかスマートフォンを自分の顔にくっつける時代が来るとは思ってもみませんでした。

第三の問題である生物的な未知の影響についてですが、今予想できそうなところでいうと、、、
斜視が増えたり?感染症になりやすくなったり(HIV感染とかありそう)、アダルト系VRやりすぎて草食系男子が増えたり、旅行離れでしょうか。VR酔いなんかもこれに当てはまるかと思います。


「物理的なアクセスはなくなりますか?」萌絵は、真賀田女史の話の後半を無視して質問する。
「そうね、おそらく、宝石のように贅沢品になるでしょう。他人と実際に握手することでさえ、特別なことになる。人と人が触れ合うような機会は、贅沢品です。エネルギィ的な問題から、そうならざるをえない。人類の将来に残されているエネルギィは非常に限られていますからね。人間も電子の世界に入らざるをえません。地球環境を守りたいのなら、人は移動すべきではありません。……」


これはかなり納得。「WORK SHIFT」という本の中にも同じような未来予想が載っていた気がします。
私は毎月、日本と海外を行ったり来たりしています。そのため、既に物理的に気軽に直接会って打ち合わせをすることができない存在になっています。
メールベースで問い合わせがあっても、「まずはお会いして…」という方も多いのですが、基本的には断っています。仮想空間(tele、つまり遠くを近くに感じさせる技術)をつくることを生業にしている以上それはできません。なんだか本末転倒な話です。やはり、根底にある価値観は時間は贅沢品であるということです。

ともかく、私は地球環境を守ります。

「仮想現実はやがてただの現実になる」


この本の中の一番共感部分です。
ただし、私の言う意味合いは真賀田博士のものとは違います。
真賀田博士は将来、仮想現実は普段の生活に溶け込み現実との区別がつかなくなるという話をしています。例えば、電話を仮想会話と現代人が言っていないのと同じように、仮想現実という言葉自体が消えるのかもしれません。

そもそも、この現実世界が50%の確率で仮想現実だという話もあります。

tocana.jp



では私が思う「仮想現実はやがてただの現実になる」とは何か。
そもそも、私の言う仮想現実は不動産などの仮想空間の話で、ゲームなどの「非現実的」なVRは除いて考えています。事業でやっている範囲内ということです。
具体的には、2020年に行われる東京オリンピックの様子や、3年後にアジアに建設されるコンドミニアムなど。そういった未来の空間をつくっています。

となると、私たちがつくる仮想空間は未来の建築物であり、確実に今後起こるであろう”現実”の可視化をしているということになります。当たり前ですが、今はVRゴーグルをつけて見ていても、数年後やがてそれは要らなくなります。
なぜなら現実に建ってしまうのだから。

ほら、仮想現実はやがてただの現実になったでしょう。




VRは未来を創りだすのか、過去を創りだすのか。

本格的にVR事業を始めてからはまだ日が浅いんですが、
3DCG関連事業については実は3~4年前からやっています。

VR(ヴァーチャルリアリティー)がコンシューマー向けに登場した2016年はVR元年と言われ、
PSVRも世に出回っていよいよ本格的に「VR業界」というものができた気がします。
そこでこれからは私も業界人として、今まで感じてきたことを文章にしていきたいと思います。

VRを使うことのメリット

VRは様々な業界での導入が期待されていますが、一般的にVRが実現できる世界は以下の2つだと思います。
1つ目は「実際にやろうとするとすごくお金や時間がかかること」、
2つ目は「実際にやろうとすると不可能なこと、もしくは限りなく不可能に近いこと」
たとえば、VRで宇宙関連のコンテンツが沢山あるけども、宇宙旅行は実際にやるともちろん莫大なお金と時間がかかりますし、VRゲームのほとんどは現実世界では不可能なことです。

お金がかかったり、不可能なことがVRを使えば簡単にできるので価値があるのです。
エジプトにもお金と時間があれば行けるけど、お金と時間がない人は、
ワンクリックで行けるようになります、こんな感じに。

describingegypt.com

言葉にするとすごく当たり前だけど、VRコンテンツをつくっているとたまにあれ?なんでコレが必要なんだ?って思うことがあるので念のため。

VRのもう1つのメリット

VRのメリットは上記の2つの他、実はもう1つあると思っています。VRコンテンツの中でも特にノンゲーム系を提供する人たちは何を目指すべきかというと、「行動のトレース」だと思います。
例えば住宅系VRコンテンツの場合は、部屋ごとの滞在時間や、シミュレートした家具の種類や配置、視線推移などそういった情報が手に取るようにわかる(わかるように開発する)のがVRです。リアルをデジタル(ヴァーチャル)にするということは、現実世界のあらゆる情報をデータ化し解析することができる、つまり「人間の行動を全てトレースする」ということだと思っています。
そのデータがあれば何ができるか、考えただけでもワクワクしてきませんか。

VRは未来を創りだすのか、過去を創りだすのか

最近しょうもないことに哲学チックにVRは何を創りだすのか、というのを考えています。
ここで言うVRというのはCGでのVRのことでパノラマVRは含まれません。
住宅関連のVRをやっている身としては未来をつくるものだと思っていましたが、もっと色んな可能性があるなあ、と感じています。たとえば、江戸VR化とか面白いですよね。

www.youtube.com

CAMPFIREは失敗してしまいましたけど、プロジェクトはまだ続いているようなので、
期待しています。

そして、我々も最近VRの可能性を探求すべくAngkor VR(仮)という新しいプロジェクトを開始しました。詳細はまだ明かせないのですが、その名の通りアンコール遺跡群のVR化をするプロジェクトです。ブラジル人の背景アーティストやアンコール遺跡群の研究者と一緒に進めています。
現在スポンサーや、クリエイターの方々を募集しておりますので、興味があればご連絡ください。

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Ta Prohm by Eiti Sato | Nature | 3D | CGSociety

というわけで、最後はプロジェクトの宣伝でした。
VRはまだ始まったばかり。
弊社も住宅関連のVRで様々な開発をして参りますので、
今後ともよろしくお願いします。

terior.jp