LOAD TO LAST MILE

辺境での仕事づくりを目指すラストマイルワークス株式会社の代表小林のブログ。カンボジア歴4.5年。

facebookが途上国社会を変えられないと思うたった一つの理由

今回はVRではなくてICT4D関連のお話。
カンボジアでは日本の昭和時代に流行ったようなアーケードゲームもあり、
駄菓子屋のような露店もありで、なんだか本当に日本の30年前のような環境です。
30年前は自分は生きていませんが、幼少のころのセピア色の娯楽や楽しみは今でも覚えています。ただ、かつての時代と今の途上国の圧倒的な違いはインターネットです。
プノンペンピンボールゲームをやりながらスマホゲームをやっている少年を見た時は衝撃的でした。

カンボジアに移住した当初は空間を超えてできる仕事=アウトソーシングに携わり、今となっては空間だけでは飽き足らず、時間をも超える仕事=VRを軸に事業展開しているわけですが、私の興味は常に「テクノロジーがどうやって途上国を豊かにしていくか」というところです。学問でいうところの、広義のICT4D、IT技術を通した社会開発に興味があります。そのため昔はインパクトソーシング事業などもやっていました。

なので、インターネットがどうやって途上国を変えていくかにも非常に興味があり、
GoogleのProject Loonや、FacebookのAquilaとかは随時チェックしています。
インターネットを求めてヒマラヤを彷徨ったこともあります。

そこで、ネットが世界中どこでも使えるようになったらどうなるのか、今回はそんな話ですが、尊敬している知人はよくこんなことを言っています。

dataとかinformationは受け取る人の教育レベルや経験によって、その人にとって有益にもなるし無意味にもなる。

これは 実体験を通して、ああなるほどと思ってしまう。
カンボジアにきて5、6年経ちますが、今まで一度もfacebookYouTubeで生活が変わったという人を見たことがありません。YouTuberも一部の先進国だけの職業ですし。
今時スラムの子供ですらfacebookのアカウントを持っていたりします。にも関わらず、
生活水準は全く変わらない。GoogleFacebook情報格差をなくすことによって世界を豊かにすると言っているけども、実際はその恩恵を受ける人なんでごくわずかで、大抵の人々は情報を無駄にしてしまう。
理由は上記の通り、情報は受け取る人の教育レベルや経験によって、その人にとって有益にもなるし、無意味にもなります。

情報という字は情に報いると書きます。
情に報いて初めて情報というのであれば、
彼らが四六時中いじっているスマートフォンアーケードゲームのような、
単なる娯楽でしかなく、現実的な環境を改善しない限りは社会性はありません。







リアリティとは何か

最近よくリアリティとは何か、というとこを考えてます。
VRには主に二つのベクトルがあり、一つは我々のような、バーチャルリアリティを「事実上の現実」と捉えたもの、もう一つがゲームなどの「仮想的な現実」と捉えたものですが、向かう方向は全く違うようにみえます。
ただ、どちらにも言えることが、リアリティとは決して現実を再現することではないということだと思います。

今回はリアリティとは何かをいくつかの例を出して考えてみようと思います。
芥川賞を受賞した森敦さんのエッセイに「リアリズム1.25倍論」という望遠鏡のことを書いたものがあります。人間がものごとをリアルに見るためには「1.00倍」ではだめで、「1.25倍」にするのが良いという話。真実を何かを通して伝えるためにはプラスアルファで0.25の何かが必要になる。つまりはそういうこと。

たしかに日常を振り返ってみると、世の中大抵1.25くらいの乗数がかかっていることに気づく。似顔絵やものまねはその人の特徴を誇張すると似てきたりする、お笑い芸人の話が妙にリアルに感じるのは誇張されているからではないか、といった具合に。

もう一つ例を挙げるとすると、テオドール・ジェリコーの「エプソムの競馬」がわかりやすい。

 

f:id:yu5884:20170508035610j:plain

テオドール・ジェリコーの代表作『エプソムの競馬』

 

4頭の競走馬は躍動感が溢れているが、実際にはこういった前足と後ろ足を伸ばして走ることはありません。そのため制作当時は批判も受けていました。
しかし、本作品の説明は以下のように続きます。

ジェリコーは画家としては異例なほど熱狂的な馬の愛好家で、青年期に動物画家カルル・ヴェルネの許で修行していたこともあり、動物、特に馬の描写には長けていたにも関わらず本作では非現実的な≪フライング・ギャロップ≫にて競走馬を描写しているが、これは疾走する競走馬の最も重要な要素である≪速度≫を表現するために用いたことに他ならない。本作には偏愛的に馬を愛好していたジェリコーだからこそ描くことのできた馬の魅力の本質がよく捉えられている。

つまりジェリコーは本質、リアリティーが伝わると思い、わざとこのような描写をしたというのです。リアリティーとは何かますますわからなくなってきました。

しかし、少なくとも何かを通して現実をつたえようとするためには、ストレートに伝えてはダメだ、ということは確かだと思います。

”将来”への希望と”過去”の経験の可視化、震災から考えるVRの可能性

今日は日本人にとって特別な日です。
震災があって一年後に私は日本を離れました。
そして、今も1年の半分以上は海外という生活を送っており、当時は思ってもいなかったヴァーチャルリアリティという領域で事業を展開しています。

VRというとやっぱりゲームのイメージが強いですが、
実際私たち取り組んでいる事業はゲーム系VRとは全く違うベクトルを向いていると思います。なぜなら、非日常感を体験できることに価値があるとされるゲーム系VRに対して私たちはいかに日常感を感じてもらうかに重きをおいています。どういうことか、もう少しわかりやすく説明するために砂時計に例えてみます。

砂時計は時間の可視化です。上にある砂が真ん中のくびれた管を通り下に落ちていく、つまり未来、現在、過去の3つの時間の可視化をしているわけです。ここで大事なことは上にある砂は必ず真ん中の管(現在)を通るということです。
過去は人類が歩んだ歴史(事実)であり、未来は想像し得る将来の現実ということなります。私たちは日常的に分譲マンションや注文住宅、歴史の可視化をおこなっていますが、それらはフィクションではなく、1年後、5年後必ずやってくるであろう現実であったり、過去に起きた事実を制作していると言えます。そのため、いかに日常感をイメージできるかが重要なのです。

話を震災に戻します。
震災から6年の月日が経ちました。仮設住宅には今もなお3万5千人もの方々が暮らしています。震災の影響で倒産した企業数は400社近くにのぼります。
逃げるように日本を離れてしまった自分ですが、それでもなお復興のために今の自分は何ができるのだろう、一企業としてVRを利用して何ができるのだろうと考えることがあります。

VR技術を利用してできることは何なのでしょうか。
そもそもヴァーチャルリアリティのヴァーチャルとは本来、「事実上の」という意味です。事実上の現実とは見た目は違うが機能や本質は同じ、現実の要素を抽出したデータということになります。それでは、私たちが抽出すべき要素とは何でしょうか。

おそらくこれは、タイトルの通り未来への希望と過去の経験や教訓ではないかと思います。例えば数年後の復興計画を再現したり、失われた建造物を再建したり、過去データをもとに津波シミュレーションをしたり・・・なんて具合にVRを活用できるのではないかと思います。私たちが砂時計のようなノンフィクションVRにこだわる理由は人類が歩んだ歴史や、これから歩む未来に寄与したいという想いからです。

明日が来るのは当たり前ではないのだけど、
私たちは明るい未来をこれからも提案していきたいと思います。

 

「仮想現実はやがてただの現実になる」すべてがFになるから考えるVRの未来

http://ascii.jp/elem/000/001/059/1059718/logo_588x.jpg

【アニメ動画】すべてがFになる THE PERFECT INSIDER 1話~11話(終) - NAVER まとめ


これは森博嗣著「すべてがFになる」の中で出てくる真賀田四季博士という天才プログラマの言葉です。それでこんな記事があったので、私も考えてみることにしました。

すべてがFになる」はフィクションですが、その中でVR(仮想現実)が登場します。Oculus Riftみたいのも出てきます。

ポイントはこの本が世に出たのは1997年、今から20年近く前の話なのです。SFっぽく感じないのは2017年に生きているからで、20年前だったら間違いなくSFと言っていたでしょう。不気味なぐらい昨今のVR事情を描写しています。とは言っても、現在2017年に僕が感じていることと、作中に出てくる真賀田博士の言葉には若干の「誤差」があります。これはあくまでも私個人の見解なので、何が正しいかどうかはわかりません。


作中こんな会話があります。

「仮想現実の技術の問題点はなんだとお考えですか?」
「現在は、主として三つの障害があります。第一に、処理系のハード的な力不足、第二に、人間ににそれを受け入れる用意があるかという道徳的な問題、第三に受け入れた後に現れる生物的な未知の影響です。……」

まず第一の問題点に関してですが、本の中では今後解消されていくとあります。確かに処理系のハード的な力不足はあらゆるテクノロジーが二乗の勢いで発展しているため、今後解消されそうな気配はあります。フラッシュメモリでさえTBですからね、TBを持ち歩く時代の到来です。しかし、忘れてはいけないのは、テクノロジーの発展に負けず劣らず、情報量も増えていっています。VRコンテンツなんて数ギガは当たり前です。GBをダウンロードする時代の到来でもあるのです。
そう考えると技術向上と情報量の増大で相殺されてしまい、結局は今後もそんなにハード的な力不足は解消されないのでは?と思っています。

第二の問題は今のビジネス寄りのVRをイメージするとわかりやすいかもしれません。
自分で言うのもなんですが、そんなに流行っていません。流行っていないというのはiPhoneのようにGear VRを携帯するレベルにまで達していないという意味です。その理由は少なからず道徳的な話もあると思っています。それに、5年前の自分はまさかスマートフォンを自分の顔にくっつける時代が来るとは思ってもみませんでした。

第三の問題である生物的な未知の影響についてですが、今予想できそうなところでいうと、、、
斜視が増えたり?感染症になりやすくなったり(HIV感染とかありそう)、アダルト系VRやりすぎて草食系男子が増えたり、旅行離れでしょうか。VR酔いなんかもこれに当てはまるかと思います。


「物理的なアクセスはなくなりますか?」萌絵は、真賀田女史の話の後半を無視して質問する。
「そうね、おそらく、宝石のように贅沢品になるでしょう。他人と実際に握手することでさえ、特別なことになる。人と人が触れ合うような機会は、贅沢品です。エネルギィ的な問題から、そうならざるをえない。人類の将来に残されているエネルギィは非常に限られていますからね。人間も電子の世界に入らざるをえません。地球環境を守りたいのなら、人は移動すべきではありません。……」


これはかなり納得。「WORK SHIFT」という本の中にも同じような未来予想が載っていた気がします。
私は毎月、日本と海外を行ったり来たりしています。そのため、既に物理的に気軽に直接会って打ち合わせをすることができない存在になっています。
メールベースで問い合わせがあっても、「まずはお会いして…」という方も多いのですが、基本的には断っています。仮想空間(tele、つまり遠くを近くに感じさせる技術)をつくることを生業にしている以上それはできません。なんだか本末転倒な話です。やはり、根底にある価値観は時間は贅沢品であるということです。

ともかく、私は地球環境を守ります。

「仮想現実はやがてただの現実になる」


この本の中の一番共感部分です。
ただし、私の言う意味合いは真賀田博士のものとは違います。
真賀田博士は将来、仮想現実は普段の生活に溶け込み現実との区別がつかなくなるという話をしています。例えば、電話を仮想会話と現代人が言っていないのと同じように、仮想現実という言葉自体が消えるのかもしれません。

そもそも、この現実世界が50%の確率で仮想現実だという話もあります。

tocana.jp



では私が思う「仮想現実はやがてただの現実になる」とは何か。
そもそも、私の言う仮想現実は不動産などの仮想空間の話で、ゲームなどの「非現実的」なVRは除いて考えています。事業でやっている範囲内ということです。
具体的には、2020年に行われる東京オリンピックの様子や、3年後にアジアに建設されるコンドミニアムなど。そういった未来の空間をつくっています。

となると、私たちがつくる仮想空間は未来の建築物であり、確実に今後起こるであろう”現実”の可視化をしているということになります。当たり前ですが、今はVRゴーグルをつけて見ていても、数年後やがてそれは要らなくなります。
なぜなら現実に建ってしまうのだから。

ほら、仮想現実はやがてただの現実になったでしょう。




VRは未来を創りだすのか、過去を創りだすのか。

本格的にVR事業を始めてからはまだ日が浅いんですが、
3DCG関連事業については実は3~4年前からやっています。

VR(ヴァーチャルリアリティー)がコンシューマー向けに登場した2016年はVR元年と言われ、
PSVRも世に出回っていよいよ本格的に「VR業界」というものができた気がします。
そこでこれからは私も業界人として、今まで感じてきたことを文章にしていきたいと思います。

VRを使うことのメリット

VRは様々な業界での導入が期待されていますが、一般的にVRが実現できる世界は以下の2つだと思います。
1つ目は「実際にやろうとするとすごくお金や時間がかかること」、
2つ目は「実際にやろうとすると不可能なこと、もしくは限りなく不可能に近いこと」
たとえば、VRで宇宙関連のコンテンツが沢山あるけども、宇宙旅行は実際にやるともちろん莫大なお金と時間がかかりますし、VRゲームのほとんどは現実世界では不可能なことです。

お金がかかったり、不可能なことがVRを使えば簡単にできるので価値があるのです。
エジプトにもお金と時間があれば行けるけど、お金と時間がない人は、
ワンクリックで行けるようになります、こんな感じに。

describingegypt.com

言葉にするとすごく当たり前だけど、VRコンテンツをつくっているとたまにあれ?なんでコレが必要なんだ?って思うことがあるので念のため。

VRのもう1つのメリット

VRのメリットは上記の2つの他、実はもう1つあると思っています。VRコンテンツの中でも特にノンゲーム系を提供する人たちは何を目指すべきかというと、「行動のトレース」だと思います。
例えば住宅系VRコンテンツの場合は、部屋ごとの滞在時間や、シミュレートした家具の種類や配置、視線推移などそういった情報が手に取るようにわかる(わかるように開発する)のがVRです。リアルをデジタル(ヴァーチャル)にするということは、現実世界のあらゆる情報をデータ化し解析することができる、つまり「人間の行動を全てトレースする」ということだと思っています。
そのデータがあれば何ができるか、考えただけでもワクワクしてきませんか。

VRは未来を創りだすのか、過去を創りだすのか

最近しょうもないことに哲学チックにVRは何を創りだすのか、というのを考えています。
ここで言うVRというのはCGでのVRのことでパノラマVRは含まれません。
住宅関連のVRをやっている身としては未来をつくるものだと思っていましたが、もっと色んな可能性があるなあ、と感じています。たとえば、江戸VR化とか面白いですよね。

www.youtube.com

CAMPFIREは失敗してしまいましたけど、プロジェクトはまだ続いているようなので、
期待しています。

そして、我々も最近VRの可能性を探求すべくAngkor VR(仮)という新しいプロジェクトを開始しました。詳細はまだ明かせないのですが、その名の通りアンコール遺跡群のVR化をするプロジェクトです。ブラジル人の背景アーティストやアンコール遺跡群の研究者と一緒に進めています。
現在スポンサーや、クリエイターの方々を募集しておりますので、興味があればご連絡ください。

f:id:yu5884:20161016121803j:plain

f:id:yu5884:20161016121821j:plain

Ta Prohm by Eiti Sato | Nature | 3D | CGSociety

というわけで、最後はプロジェクトの宣伝でした。
VRはまだ始まったばかり。
弊社も住宅関連のVRで様々な開発をして参りますので、
今後ともよろしくお願いします。

terior.jp



住宅関連業界向けのVR制作サービスterior(テリア)を開始しました

先月LASTMILE WORKSは住宅関連業界向けのVR制作サービスterior(テリア)を開始しました。

blog.terior.jp

 

このteriorを利用するとこで、今までの図面やイメージパースでは難しかった空間把握を容易におこなうことができるため、お客様に対する訴追効果や、今までありがちだったスタッフとお客様とのイメージのギャップを取り除くことができます。

弊社はVRの中でも住宅関連のサービスに特化し、住まいの新しいプロモーション方法の開発を進めています。
具体的には、5年後にできるマンションのモデルルームをバーチャル上で先に制作することで、いち早くモデルルームを使った販促活動が可能になったり、モデルルームでは説明できない間取りの違いをVRで補足したり。物件購入前にインテリアや家具のシミュレーションをすることだってできるようになります。
他にももっと面白いものも開発しているんですが、それはまだ秘密です。

そして、何より一番面白いのが、そんな開発をカンボジアでおこなっているということです。
色んな想いがあって今に至りますが、カンボジアに移住して4年半、ようやくスタートラインに立てた気がしています。

社内はお蔭さまでバタバタな状態が続いていますが、teriorをこれからよろしくお願いいたします。

カンボジアにきて4年が経ちました

f:id:yu5884:20160814152416j:plain カンボジアに移住して早くも4年が経ちました。 5年ぐらいのスパンで自分の中でキーワード、言い換えると志の言葉、つまり 座右の名のようなものがあって、カンボジアに来てからのキーワードは、 「We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars.」 です。あえて座右の銘と言っていないのは、常に自分の心に留めておくような、 戒めや励ましとするような言葉ではないからです。

とは言っても自分にとってのアフォリズムであり、 ことあるごとにふと思う、そんな言葉なのです。 ちなみにこの言葉はオスカーワイルドという詩人の言葉です。

言い方は悪いですが、日本と比べるとここはドブのような場所です。 空港を降りたとたんに、じめじめした空気+排気ガス+ほこりで、 目がしょぼしょぼしてきます。

普通に暮らしていても、物乞いに会わない日はない。 道路にはごみが散乱し、ネズミやゴキブリがわいてくる。 そしてとにかく臭い。

ではなんでそんな場所に4年も住んでいるか、 それはやはり仲間と一緒に「星」を見上げていたいからです。

生まれた場所が日本か、はたまたドブの中かというだけで、 こんなにも環境や機会や選択肢の数が変わってしまう不公平な社会で、 それでも負けずに努力をしている人がいるということを、 こっちで知ってしまったからだと思います。 (日本で暮らしていたら気づかないでしょうけど)

いつの間にか日本人が忘れてしまった「生きる」 ということに対するひたむきな情熱は、 こちら側にくるまで僕自身も忘れていました。

僕にしかできないことをやるとするならば、 僕がすべきことはそういった人たちと寄り添いながら、同じ夢を見て、 実現させる手伝いをすること。

いつか必ずカンボジアから日本を喰う。 日本人もうかうかしてられないですよ。

俺たちはドブの中にいる。 でも、星を見上げているヤツだっているんだぜ。

生まれ変わったら、ドブネズミになりたい。